個性學がある事によって、人は自分自身の使命を見つける事、それを活かす事が出来ると考える。
個性學では、外部要因に左右されない、かつ誰でも絶対に持っている生年月日というものから、その人が持つ「花の種」を見る事が出来る。
その「花の種」を知る事によって、その人だけの才能や強み、どんなことに幸せを感じるかが分かる。
特に自分自身の強みや才能は自分自身では見えづらい事が多く、個性學で言語化される事によって「自分探し」のようなものに自問と労力を割き、納得感の少ないまま悩みのループに入る、もしくは、それっぽいものを見つけたが活かし方が分からないというような事が防げる。
実勢に自分自身も個性學によって自覚していなかった自分の個性を知る事ができたし、それを理解する事によって、活かし方も考える事が出来た。
それだけでなく、「こうするべきだ」というような周りや世間の声に流されて、自分の個性に合わない事をして無理をする事が減ってきた。
自分自身の個性に従って生きる事はとても楽しく、楽な事であり、幸せを感じる事が増えると実感した。
もちろん、個性學はあくまで一つの尺度であり、決めるけは避けるべきだが、自分を理解したい、相手を理解したいという気持ちは尊く、共創の機会を増やしていく事で、より多くの人が幸せにイキイキと暮らせる社会に近くと考える。
以上の事から、個性學は人間一人一人の人生を照らし、それぞれの役割=個性を示す道しるべとなるもの、また、それを活用する事によって、人はより良く、幸せに生きる事が出来ると言える。